かもめのジョナサン
「かもめのジョナサン」を初めて読んだのは、もう5年ほど前だと思う。
そのころは、なんだか当たり前のことばかりが書かれているお伽話だ、と思った。
人生で大切なのは、食べることじゃなくて、向上することであり、
私たちは自由と愛に生きるのであると。
しかも、カモメが主人公で、そのカモメが、「われわれ一羽一羽が、まさしく偉大なカモメの思想であり、自由という無限の思想なのだ」などと大仰なことを言っていて幾分興ざめした。
しかし、久々にこの本を読んだら随分面白く感じた。
書かれていることが、当たり前ではなくなっていたからだ。
それは、歳をとって、新しい知見を獲得したから、というよりはむしろ、
歳をとってアホになっていたからである。
好きなこと、ジョナサンでいう「飛ぶ」ということを、
寝ることも食べることも惜しんで好きなだけやる。
自分は自由であって、飛ぶことを何によっても抑制されることはい。
そういうことの実感を、もう長い間感じていない。
働いて、お金を稼がないとごはんも食べられないし、お風呂にもはいれない、家に住めないし、人にプレゼントをあげることもできない、本もよめない、絵の具も買えない、よい布団で眠ることもできない。
経済的自立なしに、精神的にも自立できない、と思う。
だからこそ、自分が生活できる分を稼ぐことは、最低限であると思っている。
できれば、人を支えられるくらい。
そんなこと、「働くこと、お金のこと、死ぬまで金に困らず生活できる」ということを
すべての基礎であるとして、最優先に、ここ数年考えていたと思う。(そうであってかつ、楽しめる方法を)。
そうしているうちに、自分が自由であることとか、完全を目指すこととか、ジョナサンが言うところの「生活の豊かな意義」を後回しにしていて、いつしかよくいる大人になって、そういうことを忘れていったのだと思う。
長老は「妙なものだな。(食べるために)移動することしか念頭になく、完全なるもののことなど軽蔑しておるカモメどもは、のろまで、どこへも行けぬ。完全なるものを求めるがゆえに移動することなど気にかけぬ者たちがあっというまに、どこへででも行く。」という。
ジョナサンの思想は若者にとっては当たり前のことで、生きることに心配のない被扶養者は簡単に実践できても、一人っきりになった段階で、少し社会に殴られると、気持ちを強く持っておかないと、あっという間に忘れちゃうことだ、と思った。
ジョナサンは、群を追放されて、天涯孤独になるけれど、それでも飛ぶことをやめなかった。そこんところが、良いと思った。